伊能忠敬隊第8次測量は文化11年(1814年)旧暦4月28日稲荷山宿に泊まり翌日姨捨を測量した日記が残っております。日記の一部を記します。
四月二八日朝霧、・・・字猿ヶ馬場峠㋚印初、更級郡(真田弾正大弼領松代)本八幡村字薄水、(小郷)郡村枝中原(立場)、佐野川土橋三間、桑原村(立場)、左口留番所、・・・先手八ツ時、後手八ツ時前稲荷山宿着。・・・四月二九日 晴天。六ツ時後信州更級郡(上田領)稲荷山村(宿)一同出立。・・・我等、門谷、尾形、嘉平治、佐助、稲荷山町(駅)字新田町、八幡並姨捨山道追分㋩印初、志河沢水無河原四十二間、(松代領)本八幡村、(小郷)志河村同枝北堀、八幡宮門前迄十五町、神前へ横十五間。八幡八幡宮、式内武水別神社、・・・右名所田毎の月、左に(小袋石、姪石)、月見堂へ登口に芭蕉塚。「おもかげや、姨ひとりなく、月の友」。・・・街道三十二町四十二間、横共総測三十二町五十七間。それより稲荷山へ引帰、・・・デジタル地図は姨捨日本遺産センターに展示してあります。