第4回 峠の入口くつうち場
中原の集落は善光寺道(注1)の中程に位置し、善光寺平から急な山手にさしかかる猿ヶ馬場峠麓の集落、人や荷物を運ぶ中馬が住む「中馬の里」として栄...
中原の集落は善光寺道(注1)の中程に位置し、善光寺平から急な山手にさしかかる猿ヶ馬場峠麓の集落、人や荷物を運ぶ中馬が住む「中馬の里」として栄...
親子の絆(路傍の碑から見える関係) お八幡様の通りを挟んだ向かいに一軒の農家兼旅館があり大頭祭で賑わっていた。明和五年(1768)当主...
親子の絆(路傍の碑から見える関係) 権僧正は勅任官であることから御所清涼殿への昇殿、江戸城への登城も許された。権僧正は僧侶の乱...
地域が守る彌七の墓 世界遺産で有名な石見銀山に程近い熊見村で生れ育った彌七は仲良しで三つ年下の権六と二人村人の見送りを受けて文政十一年...
中原の集落は善光寺道の中程に位置し、善光寺平から急な山手にさしかかる猿ヶ馬場峠麓の集落、人や荷物を運ぶ中馬が住む「中馬の里」として栄えたとこ...
善光寺道で一番険しい猿ヶ馬場峠を往来する旅人の安全を確保するために松代藩は峠の開けた場所に三千坪の土地を三軒の農民に与え、その代替えとして峠...
燧石茶屋(ひうちいしちゃや) 善光寺道名所図会より抜粋、一八丁下りて燧石に茶屋あり、名月屋寅蔵という。座敷の床に大岩を作り込んで壁の代...
のぞきと大井茶屋跡 中原部落より峠を目指して上り、茶屋跡群入口に開けた場所が現れます、この場所が「のぞき」であります。当時から旅人を見...
旅人を守った山寺開眼寺 峠入口左の大きな杉の木と石段が開眼寺のシンボル、こじんまりとした本堂、何時でも入室可能な坐禅堂(更級槐安窟)、...
聖高原県立公園に指定されたのが昭和40年、最近公園計画変更の動きがあります、時代と共に見直しが必要と思います、当時は聖湖まで屋代駅から定期バ...