第1回 栄性学僧その一・又次郎少年から権僧正栄性誕生まで

親子の絆(路傍の碑から見える関係)

お八幡様の通りを挟んだ向かいに一軒の農家兼旅館があり大頭祭で賑わっていた。明和五年(1768)当主浦澤勝右衛門の二男に生れた又次郎は夜になると祖父から噺をしてもらう事が何よりの楽しみであった。十歳のとき、高府金剛寺住職がお参りで浦澤家に逗留の折又次郎少年の天才ぶりに感心、両親を説得して六里の山道を住職に連れられ金剛寺での生活が始まった。翌年には得度し(注1)栄性(えいしょう)が誕生。住職の栄壽とうまが合い使い走りから水汲み掃除と働き昼も夜もなく経の読み方や漢籍の功徳に熱中する日々であった。十五歳にして師と同じ資格となり「金剛寺の山寺で生涯を終わらせる人間ではない、天物を無意味に捨ててはならない、本人の天分を伸びるだけ伸ばしてやろうと覚悟をきめて本腰を入れて二十歳の時に豊山に留学させた。文化十一年四十七歳の時紀州根来寺に入り文化十二年(1815)権僧正(注2)を拝し勅任の栄位に昇った。

【注1】得度;出家して僧や尼になること

【注2】権僧正;僧侶の階級の一つ 大僧正・僧正の次の位に

ある者

根来寺大殿法堂内に安置されている等身大の栄性木彫像

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