蓁の始皇帝を祖とする秦能俊との関係は?
歴史ロマン「秦氏と桑原治田神社の繋がりを追い求めて」
山口盛男
秦はた一族は秦しんの始皇帝をルーツに日本へ渡り、聖徳太子の側近として、政治、軍事の両面でブレーンとなって活躍していた秦河勝が、物部守屋を討った功で信濃の国を与えられ、その末裔が信濃に移り住んだ。そして、後白河天皇と崇徳上皇が皇位継承をめぐって対立した保元の乱(一一五六年)のときに、信濃にいた秦能俊は崇徳上皇側につき、敗北を喫した。このため、能俊は海を渡って、都から遠く離れた土佐に移り住むこととなる。その後土佐を治め、四国を支配するまでになったが時の権力者徳川幕府と対立し歴史から消え去った事を知り壮大な歴史ロマンを感じ、調べてみようと思い立った次第である。
はじめに、主な登場人物について説明を加えたい。
(注)yafoo検索
始皇帝(しこうてい)
始皇帝(紀元前二百五十九年~紀元前二百十年)は、中国戦国時代の秦王。紀元前二百二十一年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前二百十年に四十九歳で死去するまで君臨した。中国統一を成し遂げた後に「始皇帝」と名乗った。歴史上の重要な人物であり、約二千年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。
秦河勝(はたのかわかつ)
秦河勝(生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。始皇帝の末裔で、・・・・・・・・・・・・・・・・・