路傍廻国供養塔から栄性学僧を偲ぶ

山口盛男

はじめに善光寺道沿い梨窪の杉木立に建つ「廻国供養塔」の碑陰には「寛政九己天四月吉日八幡村行者良国・妙国」とあり、どんな人が何の為に此の場所に供養塔を設置したのか以前から気になっておりました。最近ふとしたことから解明の糸口が見えてきました。早速お宅にお伺いしてお話しを聞き併せて資料を見せて頂きました、廻国供養塔を設置した浦澤勝右衛門(良国)さんの二男が紀州(和歌山県)根来寺大伝法堂を建立した榮性学僧であることを知りました。このような高僧が我が郷土、八幡から輩出されたことを想いまとめてみましたのでご笑覧下さい。廻国供養塔について廻国供養塔は、修験者が諸国の道場や霊地で修業し、帰国後の記念碑であり各地に見られる。梨窪の杉林に建つこの廻国供養塔の碑陰には「寛政九己天四月吉日八幡村行者良国・妙国」とある。八幡、森下の浦澤家の祖先といわれる。江戸時代まで天台、真言の両宗は密教と称し、本尊は大日如来、葬儀には関わらず、従ってごっしゃんとは言わず、俗に山伏、行者等と呼ばれ、悟りを開く厳しい修行と加持祈祷に専念したものである。(ちょうま第二十八号抜粋)浦澤さんのお宅には全国のお寺の御朱印帳が沢山残っており、苦労を重ね修験者として全国を歩いた証しにお目にかかり、この家系から立派な学僧が輩出したことに改めて感服しました

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