臼道祖神

天満宮でもあります旱魃の夏、ご神体は氏子らにより人知れず川底に沈められた恵み雨があったとき、これまた人知れず元の状態に戻された

鳥居まである特異な道祖神である。12月に行われる武水分神社“大頭祭”の際は、ここで頭人達は拝礼する。旱魃の夏は雨乞いの人々によって「ご本尊」は人知れず川底へ沈座された。

神武水別神社の鳥居の前の道を姨捨方面へ200m程ぐらい行った辻信号の脇にある。

臼道祖神(臼道祖神社)道祖神は村の入口、部落の境などの路傍に立っている。自然石のまま、あるいは台石の上の棹に道祖神と刻まれたものが多い。そして塞さいの神といわれるように、悪霊や邪悪の村への侵入を防ぎ、道行く人を守る神である。また、近在では正月、道祖神の前でドンド焼が執り行われるのが普通である。

峯・姨捨・郡方面から下る道筋のこの辻の道祖神は、自然石で臼を台座としているが、臼は女性の代名詞でその上に道祖神が乗り陰陽をあらわしている、との見方もある。流造りの社殿に安置され、鳥居まである特異な道祖神である。したがって臼道祖神と呼ばれ、臼道祖神社として崇教される理由であろう。

祭日は九月二十四日で、子供相撲が公民館の庭でひき続き実施されている。なお、大頭祭の際には武水別神社へ向う頭人は拝礼し、旱魃の夏には雨乞の人びとによって、ご本尊の道祖神は川底へ沈座された。かつては八月一日に、虫送りの行事もあったという。

社殿内の上には「臼道祖神社」の額が掲げられ、堀内中将敬書とある。松代出身の戦前の陸軍中将で、名は文次郎、俳諧をたしなみ信水と号した。俳句のメッカ姨捨に丸山晩霞を中心とする田毎句碑に、軍人らしい放胆な、「信玄も謙信も我と月見哉」が併刻されている。近くには別荘名月荘があって、終戦前後は大陸浪人川島浪速が過ごしている。揮毫はこの縁であろう