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            クワバラクワバラ

 むかし、桑原の天神さま境内に立っていたウメの大木に、子どものかみなりが落ちて来て、その木をまっぷたつにさいてしまいました。

 ちょうどそこを、桑原の近郷近在を治めていた桑原左近将監さまという剣術の師匠がとおりかかりました。

 「天神さまのたいせつなウメの木に、ふらちをはたらいたやつはだれだあ。」

 将監さまは大きな声でどなりながらあたりを見わたしますと、腰にトラの皮をまいたかみなりの子どもが、泣き出しそうな顔をして立っていました。

 「なんだ、かみなりの子どもか、だが、子どもだといってもゆるすわけにわいかぬ。」

 と将監さまは、かみなりの子どもを、1本のウメの木にしばりあげてしまいました。

 天神さまの境内に、かみなりの子どもが生け撮りにされていると聞き、里びとたちが大ぜい見物にやって来ました。

 「あたまにつのなんかはやしちゃあいるが、ちっともおっかなかねえなあ。」
 「子どものくせに、リュウのようなひげなんかはやしちゃって、ふっふっふっふっ。」

 「目はネコそっくり。」

 子どものかみなりは、里びとたちにからかわれ、すっかりしょげってしまいました。

 それを、雲の上から見たとうさんかみなりと、かあさんかみなりは、あわてて雲にのっておりて来ました。「どうか、子どもをかえしてくだされ。」

 とうさんかみなりとかあさんかみなりは、土の頭をつけて、将監さまにおねがいしました。

 「それなら、これからはけっして、桑原へ落ちないというならゆるしてやる。」と将監さまがいうと、「桑原へはけっして落ちません。」とかみなりの夫婦はちかいましたので、将監さまはそれならばと、子かみなりの縄をといてやりました。

 かみなりのおやこは、なんどもお礼をいって、手に手をとり、空へ帰っていきました。

 それからというもの、桑原の里の空でかみなりが鳴ると「桑原桑原、ここは桑原じゃ。」というと、かみなりは落ちなかったということです。

 これを聞いたよその人たちも、かみなりが鳴り出すと、「ここは桑原じゃ、ここは桑原じゃ。」と、くりかえしていって、かみなりをだますと、ふしぎにもかみなりは逃げていったということです。

 そんなわけで、桑原といえばかみなりが落ちないぞ、と、口から口へつたわり、桑原がいつのまにかクワバラクワバラ(カミナリが落ちないおまじない)になって、国じゅうへひろまっていったということです。
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