真田丸と大池百八灯

真田信繁(幸村)の兄真田信幸(信之)妻、小松姫の遺徳を偲んで400年経った今でも小松姫を供養する行事「百八灯」(ひゃくはっと)が地元住民により引き継がれております。(平成27年4月千曲市無形民俗文化財に指定)
小松姫は徳川四天王の一人本多忠勝の女(むすめ)で家康(秀忠説もある)の養女となり真田信幸に嫁いだ。関ヶ原合戦前に分かれた舅(昌幸)の入城を拒むも、のち高野山麓九度山に配流となった昌幸、幸村父子を気遣いその暮らしを支え、その後においても夫・信之を支え続けた賢婦人であったという。
小松姫は元和6年(1620)2月24日病気療養のため江戸から草津へ向かう途中、鴻巣宿で死去、48歳であった。戒名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。信之はその死を悼み「わが家の灯火消ゆ」と嘆いたという。
元和8年(1622)信之松代入府、信之の所替えにともない大蓮院殿(小松姫)のお寺を松代に建てた、これが今の大英寺である。大英寺は松代藩より百石を拝領していた。
享保6年(1722)大池新田村は大英寺領に組み込まれた。大英寺領100石のうち52石が大池新田村、48石が小島田村に割り当てられた。
いつの時代か現在の大池公民館場所に「大皓庵」(だいこうあん)が建てられ村の中心的存在となってきた。古い大皓庵を取り壊し現在の公民館に建て替えられても小松姫の位牌を守り祀っている。その供養が千年、万年続くようにとの思いから地元では小松姫を「万年様」と呼び、現在も小松姫が没した2月には生花を添え、8月16日月遅れの送り盆の夕方には、地域住民が主体となって(以前は子ども中心であった)小松姫供養のための百八灯という行事を行っている。百八灯とは、一本松峠につながる古道(大道)に108個の稲わらを並べて火を付ける盆送りの行事。108の煩悩を拭い去り、豊作・家内安全を祈願する意味もあるという。

  •  平成18年1月15日座談会で参加者からの質問等
  • 大池新田村が大英寺領となった理由は
    大英寺の火災により関係する文書が焼失してしまったので詳しくはわからないが、水害が多かった松代清野からの替地として寺領となったとの記録がある。
  • 小松姫に係る行事が今に続いた訳
    大池地区は土着の人が多く、外部から入る人が少なかったことも今に続いている要因と思われる。
  • 小島田に行事が続かなかった訳は
  • 小松姫についてもっと調べてほしい
  • 本多の先祖を尋ねたらどうか
  • 8月16日夕方大池公民館で話し合いしたい
  • 大池公民館に集まった見学者

    108のボッチ順番に火を点け 最後の大ボッチが燃え上がり最高潮

大池の百八灯 千曲市指定無形民俗文化財 2016/8/16