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   伝承文化/こぼれ話         

              先人に学ぶ

                                 山口 盛男

 山懐に囲まれ穏やかな桑原の郷は、古くから生活の営みが続いて来た地域であります。地域に残る業績を称える顕彰碑等から先輩は何を後世に残そうとしたのかを学びとろうとして、地域内に現存する碑の調査をしました。以下は、私が調べた主な物です。

南澤師亨和尚(龍洞院境内 筆塚)
 南澤師亨和尚(龍洞院二十一世住職光庵師亨)は、明治7年(1874)に十九世素庵師練が隠居してから32年間、明治仏教の内外に渉って活躍し、大きな業績をあげた。寺小屋師匠として、十九世素庵師練と共に、境内に門弟による筆塚が建立されている。

小林迎祥(龍洞院境内 時雨碑)
 小林迎祥は幕末の頃、桑原・稲荷山・八幡等近在に門弟を持ち、青年に世界に対する目を開かせ、文化活動を盛んにして、地方発展の原動力となった人。
 安政6年11月54歳で没す、墓は龍洞院墓地より小坂城址のぼり口に祀られており、句碑「時雨れたり 晴れたりはてハ 同じ野ぞ 瑞翁」は言流舎門弟等により明治28年建立された。

坂田栄純(西区天満宮境内 筆塚)
 この地には以前長福寺(真言宗)があり、この寺の六世坂田栄純が地域の子弟に読書を教えた、その徳をたたえた住民が明治12年筆塚を建立。記された碑文は西村師練和尚(龍洞院十九世住職)が撰し「一任堂吟稿」に収められている。

関 長昭(佐野薬師寺境内 西行法師旧蹟之碑)
 佐野薬師寺前庭に、西行法師の訪れて詠んだ「撰集抄」に佐野の地と記されているが、信濃國には北安曇神城と下高井にも同じ佐野の地があり、各々当地が詠まれた地であると主張している。関 長昭(現伴月楼先祖)と交友があった上野の国学者飯塚久敏は、文久のはじめ3月桑原佐野に遊び、証しの碑文を撰し、長昭の子長尭が中心となり、西行法師旧蹟之碑を建立。

堀内源次郎(佐野薬師寺境内 堀内源次郎句碑)
 堀内高行氏祖父に当たり、塩崎等小学校の先生をしながら俳句の趣味を持ち、村内に多くの弟子を育てた。辞世句で翌昭和10年、中山京海ら俳友五名の建立
である。「さゝえんと すれど 倒をるゝ雪の竹  源泉」

禰津徳右エ門(大田原公民館前 禰津徳右エ門先生寿碑)
 明治45年禰津氏を含めこの地域の人々が、東京観世流、橋岡久太郎氏を招き稽古会を催し、その後もしばしば橋岡師を招いて稽古を続け、この地方の謡曲の流儀統一とそのレベル向上に寄与した。
昭和7年5月吉日 門弟中 建立。

宮崎 一(宮崎一雄自宅前庭 観世流師範宮崎 一先生の像)
 観世流職分橋岡久太郎、久馬氏に師事し、東京観世能楽堂にも度々出演し、地方に於いて謡曲・仕舞を教え多くの師弟に伝承した。
 昭和51年3月15日 門弟一同、有志一同建立。

柳沢時次郎(治田神社上宮境内入口 柳沢時次郎翁之碑)
 戦前戦後の地方自治に携わり、特に村長として戦後の難局を克復した功績により、全国町村議長会より表彰され、稲荷山町議会の議決により昭和33年5月15日 建立。

宮本信治郎(小坂公民館隣地 宮本信治郎翁之碑)
 翁は初代小坂営林組合長として、多年にわたり営林事業と組合員の育成に心血を注いだ偉業を偲んで、昭和34年11月13日 組合員一同 建立。(日本書道美術院審査員 松林天上書)

今に残る俳額
小林迎祥奉納の俳額(龍洞院本堂 二十二句)
西区長福寺俳額(小林迎祥奉納 廃寺後佐野薬師堂内に掲額 三十六句)
佐野薬師堂の俳額(山本竹摩奉納 百句)


 以上、桑原地域の今に伝わる先人の足跡を偲びましたが郷土のために貢献した人々の居られたことを想い起こされたことでしょう。
 翻って戦後六十五年経過した現代を見渡すとどうでしょうか、私どもの人生と重なりますので簡単に振り返えってみることにします。
 我々の仲間は昭和18~19年に生まれ、昭和25年桑原小学校入学、大田原分校存在した時代であった。教室は石炭を燃やすダルマストーブ一個で、写真で見る限り衣類、履物には恵まれておりませんでした。食事は学校給食で、脱脂粉乳、コッペパン、クジラ肉等だされる食事全てをおいしく食べた記憶があります。五年生のとき大田原分校生と一緒になり同学年総勢60名と大勢でした。今想うに、貧しい時代ではあったが、子供心に貧しさは感じませんでした。
 中学3年になってすぐに稲荷山中学校と統合し6クラス180名と一挙に大所帯となり、多少戸惑いもありましたが中学を卒業し、高等学校へ行く人、就職する人それぞれの人生を歩み始めました。高度経済成長時代を経験して一応貧しさから脱出し、戸建て住宅・自家用車を保有し家庭を持つ事が当たり前となりました。
 暫く安定した時代が続きましたが、良き時代は永くは続きません、低成長時代、世界的不況、環境問題、政治の混乱等、我々の社会にとってマイナス要因が目白押しです、それに加えて戦後の昭和時代は破壊の時代であったと云っても過言ではありません。
 戦後の破壊された事象として私なりに反省を込めて申し上げますと、

・地域文化の破壊
  祭り、行事が忘れ去られた、歴史が子供に語り継がれない、故郷を想う気持ちが
  薄れた、限界集落現象が強まる
・心(精神)の破壊
  先輩を敬うことが無くなる、家族が助け合う気持が弱まる、無縁社会という社会
  現象
・教育の破壊
  学級・家庭崩壊、無気力・無関心人の増加、自立心欠如、童謡唱歌・童話を語る
  環境が無い
・自然(環境)破壊
  車社会による国土破壊、農地・山林管理不備による災害増温暖化進行、生態系の
  変化

 身の回りで列挙しただけでも以上の事をあげることができます。
 当地域でも他の地域と同様に出生数が極端に減少している、一方高齢者数が増加しています。にもかかわらず高齢者は働く目的を持っているので元気に生活しており、二世代、三世代同居家庭が他地域に比べて多いことは素晴らしいことであります。
 最近スローライフが叫ばれておりますが、とてもよい社会現象だと思います。
 それにつけても、次の世代を担う子供たちに何を伝えるかを我々大人は真剣に考えなければいけないと思います。
 本日(平成23年1月8日)長野県立歴史館に於いて冬季展信州の歴史遺産展へ、佐久間象山生誕二〇〇年迎春イベント「象山揮毫幟旗奉納中原神楽舞」を見学して象山の足跡の偉大さを改めて知ることとなりましたが、最初に列記した桑原地域で活躍又は少なからず影響を与えた多くの先人が今を生きる我々に多くの影響を与えたことを忘れるわけには行きません、中央の情報に惑わされることなく、今一度足もとを見つめ直し、地域の良いところを子や孫に語り継ぎたいと願っております。
 結びといたしまして具体的取り組みを二点提案いたします。

我が郷土産土の神(うぶすなのかみ)であります治田神社について学びあい、神楽
 の伝統文化継承を図るために語り合う機会を持ち、神楽芸人の養成を積極的に行な
 うこと。
各家庭に埋もれている地域の古い写真を集めて写真集を作成する。このことは、急
 激に移り変わる桑原地域の風景を「写真集」として残すことにより、郷土愛が育く
 まれること間違いありません。

 桑原振興会事業として地域住民の理解と協力のもとに、早急に取り組むべき事項と想い提案いたします。

(注釈)スローライフとは、
    生活様式に関する思想のひとつであり、地産地消や歩行型社会を目指す生活
    様式のこと。
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